当時、世はハード・バップ全盛の時代、20歳を過ぎたばかりで、ハード・バップの名門コンボ、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに迎えられ、1958年10月30日ブルーノートに吹き込んだ1作「モーニン」を作曲し、又、翌年キャノンボール・アダレイ・クインテットのヒット曲「ジス・ヒア」の作曲者でもあるボビー・ティモンズはファンキー・ジャズを象徴するピアニストであった。

  1935年12月19日フィラデルフィアで生まれたティモンズは6歳の頃より牧師である祖父から音楽教育を受け、プロデビューは20歳、ソニー・ステイットやチェット・ベイカー等のバンドで演奏活動をしていた。 1958年7月アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに入団。1959年10月キャノンボール・アダレイ・クインテットに入団。前記「モーニン」「ジス・ヒア」によってジャズファンの心に永遠に残る存在となり、ゴスペル風でソウルフルな彼のピアノは一世を風靡したのである。

  1961年1月2日、アートブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの来日は「モーニン」の一大ブームと成り、日本の多くのジャズ・ファンに新鮮な驚きと感動を与え魅了した。その後は、ニューヨークで演奏活動を続けていたのであるが、1974年3月1日、グリニッチビレッジの病院で肝臓病により死去。38歳の短い生涯であった。

 

リーダーアルバム
「THIS HERE IS BOBBY TIMMONS」
「LITTLE BAREFOOT SOUL/BOBBY TIMMONS」
「CHUN-KING/BOBBY THMMONS」
「SWEET AND SOULFUL SOUNDS BOBBY TIMMONS」
  等々
 
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