遅咲きのピアニスト、ハードバップ・ピアニストに徹したレッド・ガーランドは、歯切れの良さとガッツのあるプレイで60年代ニュージャズが台頭し、モード・ジャズが一般 化した中にあっても、ジャズのスタイル、奏法は頑固一徹、自分のペースを守り続けブルースを得意としたピアニストであった。

 1923年5月23日、テキサス州ダラスに生まれたガーランドは、10代の頃はボクサーにあこがれ、ライト級のボクサーとして数多くの試合を体験しているのである。ピアノとの接点は軍隊に入ってからで、ガーランド33才、1955年マイルス・デイビス・クインテットのピアニストに抜てきされ、同年プレスティッジとの専属契約を結ぶ事により一躍スターと成り、プレスティッジでのリーダー・アルバムは数十枚を所有している。 60年代に入り頑固さ故に早々第一線より退くことと成るが、1977年12月サンフランシスコのキーストン・コーナに出演し、その後はクラブ出演、レコーディングと活躍したのであるが、1984年4月23日心臓病により死去。

 日本において今なお人気のあるピアニストとしての所以は、ダイナミックなブロックコードプレイ、そしてシングルトーンの魅力と相まって50年代のジャズの香りに懐かしさを想い、過ぎ去った青春を呼び起こされるオールドファンが多いせいなのか?

 

リーダーアルバム
「GROOVY/RED GARLAND」
「SOUL JUNCTION/THE RED GARLAND QUINTET」
「RED IN BLUES VILLE/RED GARLAND」
「WHEN THERE ARE GREY SKIES/RED GARLAND」
「LIL' DARLIN'/RED GARLAND」
 等々
 
「ジャズの話」のTOPへもどる