バド・パウエルの影響を受けた多くのピアニスト達の中で今日まで地道な活動を続け、新しいスタイルへ変貌する例の多いピアニスト達の中に有っても、独特のメロディーラインとシンプルな乗りを継続し、枯淡の味わいを感ずるピアニスト、デューク・ジョーダンに心引かれる。
 1922年4月1日ニューヨークのブルックリン生まれの彼は、8才の頃よりピアノを習い始めハイスクール時代学生バンドで活躍をした。卓越した音楽人生と才能を持ちながら華やかな脚光を浴びる事もなく、地道な活動を続けたミュージシャン、デュークの性格が派手さを好まず必要以上に自分を売る事もせず世渡もうまく出来ない由来と思われる。 47年秋、チャーリー・パーカーのゴンボに参加し名を知られ、以来59年渡仏し映画「危険な関係」のために書かれた曲(20曲程)の中でも、「危険な関係のブルース」はデューク・ジョーダンの代表的な作品として最も人気が高い。その他に「ジョードゥ」「スコッチ・ブルース」「フライト・トゥ・ジョーダン」「ベン・シュガー・ブルース」「ミスティ・サースディ」等々、作曲家としてを見落とすことは出来ない。 60年代、健康を害し目立った活動もない状態が続き、タクシーの運転手、ピアノ教師などをし、ジャズの第一線より姿を消してしまうが72年春、ジャズ界へ返り咲く、といった経緯を持っている。
 日本にも76年9月に初来日をしており、多くのファンを魅了し支持し評価される所以は、独特の哀調を帯びたメロディーラインがロマンチシズムの香りと愁いの有る情緒感の魅力に引き込まれてしまうせいなのか?一度針を置いてみてはいかがですか。
 
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